‘寺’ カテゴリーのアーカイブ

学業成就 脳天大神

2014年5月18日 日曜日
こんばんは。今日の奈良も五月晴れ、少し暑かったですが初夏の気持ちのよいお天気でした。

ところで全然お話変わっちゃうんですが、最近わけあって試験勉強をしていて。

学生を終えてから勉強するのって大変だよなーとか思いながら、なんとかこなしてはいるのですが。
しんどくなると神頼みとかにすがりたくもなり。

そんなしんどいときにふと頭によぎったのが、吉野にある脳天大神。

先日ご紹介した吉野の金峰山寺から、てくてく歩いて階段を登って降りて、結構な距離を歩いた末にたどりつく神社です。

体力に自信のある方ではないとちょっとしんどいと思うのですが、たどり着くとそこにはすごく不思議な感じの景色が広がります。

DSC_0024 DSC_0025鬱蒼とした森を抜けて、この風景が現れると、まるで「千と千尋の神隠し」みたいな気分になります。

すごく幻想的なんです。

で、この脳天大神、その名の通り、頭に効く神様として親しまれているんです。

学業成就はもちろん、頭にまつわる病気の平癒などにもご利益があるとされています。

受験生の方、試験には体力も必要です。体力増進がてら、余裕のあるときにぜひ脳天大神まで歩いて、学業成就を祈願してください!

ちょっとした自信になるかもしれません☆

試験勉強のさなか、私は前に訪れたこの神社のことを思い出して、ちょっとやる気を取り戻しました。

頑張ります♪

巨石信仰の地 笠置寺

2014年5月13日 火曜日
こんにちは。
本日の奈良、昨日のどんより空模様から一転、今日は朝から五月晴れが戻ってきて気温もぐんぐん急上昇。午後には25度を超えて夏日となりました。
夏日くらいになると、朝晩もパーカーなし(いや、さすがにちょっとひんやりしましたが)、一日中Tシャツで快適に過ごせます☆
これから先Tシャツ一枚だって堪えられないくらい暑くなるのかもしれないですけどね。

さてさて、今日ご紹介するお寺は奈良から少しはみ出して、奈良と京都の県境にある笠置寺(かさぎでら)です。

お寺の場所はといいますと・・・

奈良から見ると柳生の北、周りには山とゴルフ場しか見当たらないような場所に位置しております。

最寄りはJR関西本線の笠置駅。奈良から直線距離はそんなに遠くないのですが、電車だと加茂駅で亀山方面の電車に乗り換えて一駅。
加茂と亀山を結ぶ電車は1時間に1本とか2本とか・・・さらに笠置駅にたどり着いてからお寺までは笠置寺HPによると徒歩45分。
実際に歩いてみると大体1時間近くといったところでしょうか。
ですので観光で巡回するコースに組み入れる際はかなり時間に余裕を持ってスケジュールに組み入れてくださいね。

現在はアクセスにやや不便を感じるこの笠置寺ですが、都のあった時代は、そばを流れる木津川で都に建築資材を運んでおり、また、月ヶ瀬から奈良へ向かう月ヶ瀬街道、京都から伊賀(三重県方面)へ向かう伊賀街道が交わるところでもあり、交通の要所となっていたのです。

周りには巨石が多くあることから、古来より巨石信仰(巨石を神様と崇める信仰)が根付いていたのが笠置寺の起源であると言われています。

天智天皇(626-672)の皇子である大友皇子がこの地へ鹿狩をしていたところ、断崖絶壁で身動きがとれなくなってしまい、この時に祈りを捧げたところ道が開けたといいます。
その御礼として弥勒様を岩に刻むことを近い、次に来た時の目印として自らの笠を置いて帰ったというところから笠置という名前がついたという伝説が残されています。
そして後に戻って弥勒様を刻もうと思ったところ崖が険しく作業が阻まれてしまっているところを、天人が降りてきて代わりに刻んでくれたのが、現在笠置寺にある弥勒磨崖仏だと言われています。

笠置寺の弥勒磨崖仏

弥勒磨崖仏(Wikipediaより)

また、この笠置寺、東大寺二月堂の「お水取り」の行事の元となる伝説も残っているんです。

東大寺の初代別当(責任者)、良弁の弟子である実忠が、この寺の千手窟という場所にある龍穴に入ったところ天人が修行しているところに出くわしました。
実忠がこの修業を人間界に持ち帰りたいと望んだところ、天上界の1日は人間界の400年にあたるから無理だと断られたのですが、それならば天上界に追い付くために走ってやる、というのが、今のお水取りの観音様の周りを走るという修行につながったと言われています。

目立たない場所にあるものの、奈良の歴史ととても関わりの深い笠置寺。アクセスは大変ですが(車で行けるなら車で行ったほうがいいかもしれないですね)、お時間が許せばぜひ行ってみてください!

ホームページも参考にしてくださいね♪

癌封じのお寺 大安寺

2014年5月12日 月曜日
こんにちは☆
朝からどんよりでいやだなあと思っていたら、夕方からざーっと降りだしてきてしまいました。油断して、傘を持ってくるのを忘れてしまいました・・・幸いそんなに濡れずには済みましたが。
まだ梅雨には早いですよね。もうしばらく五月晴れを楽しみたいです。

さて、本日は「大安寺」をご紹介いたします。

大安寺近辺の地図はこちらです。

大安寺は先日紹介した不退寺からほぼ真南に位置しています。

距離はかなり離れていて、近鉄奈良駅、あるいはJR奈良駅から「大安寺行」「シャープ前行」「白土町行」のバスで大安寺バス停で降車してください。
バスで約10分です。
興福寺や薬師寺など、奈良駅近辺のお寺を回るときに一緒に訪れるのがいいかもしれないですね。

大安寺

大安寺(Wikipediaより)

 

大安寺ははじめからこの場所にあったわけではありません。

平城遷都よりも前、舒明天皇(じょめいてんのう)が、大和郡山にあり聖徳太子が開いた学びの道場、熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)を百済大寺という名前で百済川のほとり(桜井市のあたりという説が有力だそうです)に九重塔を立てて創設したのが大安寺の始まりと言われています。
その後、高市(飛鳥近辺です)に移築され高市大寺という名前になり、その後、大官大寺と呼ばれるようになりました。国によって運営された寺のことを官寺といいますが、この大官大寺は我が国最初の国立寺院であるとも言われています。
その後、都が平城京に移った際に、現在の場所に移り、大安寺と名付けられました。

当時は東西に塔を建て、南大門、中門、講堂、金堂を配した伽藍形式。

そのほとんどは、平安時代の火事で焼失してしまいました。

その中でも仏像9体は奈良時代から残っています。本堂の本尊である、十一面観音立像は秘仏であり、毎年10月、11月にのみ公開されます。

また、この際に癌封じや病気平癒が祈祷されます。

1月23日(光仁会)と6月23日(竹供養)には、癌封じのための笹酒が振る舞われており、現在では病気平癒の寺として信仰を集めております。

ホームページもありますので、参考にしてくださいね。

恋焦がれるほどに 秋篠寺

2014年5月11日 日曜日
こんにちは。今日の奈良は気温が30度(!)近くまで上がって、まるで真夏のような陽気でした。
夏は嫌いではないですけど、いきなりこんなに暑くなると流石に身体がびっくりしちゃいますよね。
とは言え、朝晩は普通にひんやりな空気なもんだから着るものに困っちゃいます・・・
私は手前味噌で本当に恐縮なのですが、朝晩のひんやりには鹿パーカー着て、日中の暑い時はしかめっ面Tシャツおもいっきり鹿Tシャツで過ごしてます(笑)
オススメですよ、この組み合わせ♪

さてさて、いつものお寺シリーズ、まだまだ続きます!

今日はこの間紹介した西大寺と同じく、平城宮跡の西側、西大寺よりも北に位置します。

電車での最寄りは平城駅、なのですが、大和西大寺からもバスが出ています。押熊行きのバスに乗って「秋篠寺」で下車するとすぐです。

秋篠寺画像

秋篠寺(Wikipediaより)

このお寺の見どころは、技芸天立像。

歌人の川田順が

寧楽(なら)へいさ技芸天女のおん目見(まみ)に

ながめあこがれ生き死なんかも

という歌を詠んだことでも有名です。

川田が恋焦がれるほどに美しい像。これを見に多くの参拝客が訪れます。

寺の創建は776年光仁天皇の時代。天変地異をしずめるために天皇の勅願(天皇自らが発願すること)で建立されたお寺です。

もともとは金堂、講堂そして東西に塔を建てた伽藍形式のお寺だったのですが、後に焼失してしまい講堂のみが残り、それを本堂として現在まで残っております。

秋篠寺には伎芸天立像の他にも、帝釈天立像、梵天立像、伝救脱菩薩立像の3体の仏像も安置されております。

いずれも少しこわばった表情で、実に個性的な顔立ちをした像です。こちらも一見の価値あり。

西大寺、法華寺、海龍王寺、不退寺の大和西大寺駅〜新大宮駅コースから少し外れる立地ではありますが、時間が許せばぜひぜひ一度訪れていただきたいお寺です☆

青々たる秘仏 金峰山寺

2014年5月10日 土曜日
みなさんこんにちは。
奈良は本日もすがすがしい五月晴れ。大変気持ちのいいお天気となりました☆
気温がけっこう高くて、半袖で過ごされている方もちらほら。
奈良Tの商品を取り扱って頂いている猫雑貨のベセルさんによると、気温が上がるにつれてTシャツをお買い求めくださるお客様が多くいらっしゃるとのこと☆
ありがとうございます!
ぜひぜひ奈良TのTシャツを着て奈良観光、楽しんでください☆

さてさて奈良の観光シーズンに合わせてお寺を紹介するシリーズ、今回はぐっと南に行きまして、吉野は金峰山寺をご紹介しようと思います。

吉野は山々の全面を覆わんばかりの美しい桜で有名で、特に4月は大変なにぎわいを見せているのですが、とても貴重な文化を持つお寺が数多くあることでも知られています。
その中でも特に有名なのが金峰山寺です。

上の地図が示す通り、金峰山寺は山の上にあります。
近鉄線の最寄りは近鉄吉野駅。そこからロープウェイで山をのぼっていきます。あ、もちろんロープウェイを使わずに歩いて登っていくことも可能です。坂は結構きついですがきちんと舗装されている道路なので、30分ほど歩けばたどり着きます。
無事到着した時の充実感はひとしおですので、体力に自信のあるかたはぜひ歩いて登ってみてください!

金峰山寺

金峰山寺

ロープウェイの駅からさらに少しだけ上り、途中大きな石の鳥居をくぐり抜けると金峰山寺です。大きな本堂が空に向かってどーんとそびえています。

現在の本堂は16世紀(1592年ごろ)に再建されたものだと言われております。開設者は7世紀の山林修行者である役行者(えんのぎょうじゃ)だと伝えられておりますが、この辺についてはあまりはっきりとはしていないというのが通説のようです。この地はもともと山岳信仰の霊地とされて、修験道という仏教とも神道ともまた少し異なる独自の宗教が発達しました。
金峰山寺もその流れをくんでおり、中に安置されている秘仏、蔵王権現も修験道独自の信仰対象であり、仏教の仏様などとはまた違った存在でした。

蔵王権現は釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の3体で、それぞれ過去世、現在世、未来世を象徴しているとのことです。

憤怒の形相をした、青々とした大変ダイナミックな像で、下から見上げると思わず息を呑む迫力です。

吉野を訪れた際には是非訪れていただきたいお寺ではあるのですが、蔵王権現は秘仏であるため公開されている期間が限られております。

平成26年は3月29日~6月8日までと、11月1日~11月30日までとなっております。

詳しくはお寺のサイトをご覧ください。

在原業平ゆかりの寺 不退寺

2014年5月9日 金曜日
こんにちは。奈良は少し不安定だったものの今日もからっとしてとても気持ちのいい気候でした☆
沖縄の方はもう入梅したという話も聞きますが、奈良を含め、本州はまだもう少しこの初夏の気持ちのいい季節を味わうことができそうですね。連休は明けたものの、この平日3日間お休みをとって大型連休にされた方も少なからずいらっしゃるようで奈良はまだまだ観光の方を多くお見かけします。
それでもいよいよこの週末でラストですね。GWが終われば梅雨の足音が徐々に聞こえてきます。

されさて、ここのところ連続して平城宮跡まわりのお寺を紹介しておりますが、今日も引き続き周辺のお寺をご紹介しようかと思います。

今日は前回の法華寺、海龍王寺から少しだけ離れた不退寺です。
不退寺は下の地図で示す通り、法華寺、海龍王寺に比べると近鉄線新大宮駅寄りになります。始めてだと少しだけわかりにくいかもしれませんが、新大宮からですと徒歩でだいたい20分弱くらい。
通りを挟むことになりますが、一条高校が目印になると思います。
近鉄奈良駅からバスも出ておりまして、「西大寺駅」行きか「航空自衛隊」行きのバスで「一条高校前」で降りると歩く距離は短くて済みます。

先日ご紹介した海龍王寺もかなりひっそりしておりましたが、この不退寺も付近を静寂が包む、とても静かなお寺になります。

不退寺

不退寺(Wikipediaより)

このお寺は、

世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

という非常に有名な古今和歌集の詩をおさめた在原業平ゆかりのお寺です。

そのため歌の上達を願う人達が多く訪れる一方で、業平は美男としても有名で、女性の参拝者も多く訪れるとのこと。

このお寺、もともとは業平の祖父である平城天皇が隠居所として建てた御所がはじまりでした。

それを業平が847年、天皇を弔うために聖観音菩薩像を作成し安置、この御所を「不退転法輪寺」としたのが不退寺のルーツとなります。

この聖観音菩薩像、なんとなくもの悲しげな顔をされているのですが、耳のところにリボンのような飾り(?)がつけられていて、なんとも言えない雰囲気を醸し出しております。

(ただし、このリボンは業平が作成したものではなく、後に追加されたものであるとのことです)
業平の理想の女性像であるとも言われるとおり、とても女性的で物静かな感じは一見の価値ありです。

お寺の周りにはとてもいい雰囲気のカフェなどもあり、参拝の疲れを癒してくれます♪

先日からご紹介している、西大寺、法華寺、海龍王寺、不退寺は徒歩で、そして一日で十分まわれる距離にありますのでお勧めのコースです。

観光の参考になれば幸いです☆

 

唯一無二の小塔 海龍王寺

2014年5月7日 水曜日
今日も大変いいお天気に恵まれました奈良市内。
日差しは強かったのですが空気はからっとしていて、大変すごしやすく気持ちのよいお天気でした。

そんな折、夏に向けて奈良T商品の新たなイメージを皆様にお伝えすべく、写真撮影を行ってきました♪

新作を含めた新しい写真がたくさん撮れましたので順次皆様にお見せすることができると思います。
楽しみにしていてくださいね☆

さてさて、先日から平城宮跡周辺のお寺を紹介していましたが、引き続き今日もお寺を紹介しようと思います。

本日は海龍王寺。

下の地図画像をみてもらうとわかる通り、先日紹介した法華寺から歩いてすぐの場所にあります。
スクリーンショット 2014-05-07 22.42.42

この海龍王寺も法華寺と同じく、光明皇后の発願によって建立されたお寺です。

法華寺の近辺は皇后宮として一つの敷地であり、その中でも隅の方に位置する海龍王寺は「隅寺」とか「門寺」と呼ばれていたとのこと。

それがなぜ海龍王寺と呼ばれるようになったのか。それは、遣唐使として唐の国へ派遣された玄昉に由来すると言われています。

玄昉が遣唐使としての役目を終えて帰国の船旅をしていた際、大変な嵐に見舞われ、絶体絶命の危機に。
そのときに海龍王の加護を得るために海龍王経を唱えたところ、無事に種子島へ流れつき、一命をとりとめました。

その後都に戻った玄昉はこの隅寺に住み、その後の遣唐使たちの旅の無事を祈るようになり、海龍王寺と呼ばれるようになったそうです。

この海龍王寺、こじんまりとしたお寺なのですが、境内には西金堂という建物があり、その中に「五重小塔」と呼ばれる文字通り小さな五重の塔が収められています。国宝に指定されており、小さいながらも五重塔を見事に再現しており、おもわずため息がもれる美しさです。

海龍王寺、五重小塔

もともと、西金堂、中金堂、東金堂と3つの建物の中に小塔が1基ずつ収められていたのですが、中金堂は本堂に建て替えられ、東金堂は明治時代の廃仏毀釈の影響でなくなり、現在は西金堂を残すのみとなっています。

なぜこんな小さな塔が?という疑問が湧いてきますが、これは、限られた敷地内で東大寺のような伽藍を再現したいという思いから配置されたものと考えられています。

こじんまりとしながらも歴史と文化、そして静謐さに満ちた海龍王寺。

みなさまもぜひ観光の安全を祈願しに足を運んでみてくださいね。

あ、あとこちらの住職は大変パワフルな方で、ホームページやブログ、Twitter等で積極的に情報を発信されていらっしゃいます。

興味のある方はホームページもぜひチェックしてみてください♪

格調高き尼寺 法華寺

2014年5月6日 火曜日
ゴールデンウィークもいよいよ最終日。
昨日から一転、今日はとてもいいお天気の奈良です。観光の方も気持ちよさそうにあるいています☆

さてさて、昨日は西大寺について紹介いたしましたが、今日は西大寺から東方向、平城宮跡を抜けたところにある、法華寺を紹介しようかと思います。

法華寺の本堂

法華寺の本堂(Wikipediaより)

法華寺がある場所はもともと、藤原不比等(ふじわらのふひと)の邸宅だったとのことです。藤原不比等の娘である光明子が聖武天皇の皇后になった後、ここが宮寺となり、「法華寺」と命名されるようになったということです。

東大寺が総国分寺であるのに対し、この法華寺は総国分尼寺です。全国の国分尼寺の総括ということです。非常に権威のあるお寺でした。

このお寺には国宝の木造の十一面観音立像が本尊として安置されております。

おだやかで女性らしい顔つきをしており、全長は100センチほどと少し小さいのですがとても心やすらぐ感じの本尊です。この立像には、インドの王が「生身の観音菩薩は光明皇后である」というお告げを受け、日本に問答師という仏師を派遣し、光明皇后にお会いして像を作ったという伝説が残っています。全部で3体作成し、1体はインドの王へ持ち帰り、1体は皇后へ、そして残りの1体がこの法華寺に収められたとのことです。実際にこの本尊が作成されたのは17世紀に入ってからということですが、光明皇后の仏教への深い帰依や慈悲深さなどが後世まで伝えられていたことを示すエピソードとなっています。

また、法華寺には「カラブロ」と呼ばれる蒸し風呂の施設があるのですが、この施設に関しても、当時光明皇后が自らの手で1000人の垢をこのカラブロで流されたという伝説も残っており、こちらも皇后の人格をよく表すエピソードです。

法華寺には庭園もあり、尼寺らしい上品さが訪れる人を包みます。

光明皇后の慈悲に触れに、ぜひぜひ訪れてみてください。

詳しくは公式サイトもありますので、ご覧くださいね♪

西の大寺、西大寺

2014年5月5日 月曜日
平城京天平祭が無事に終了いたしました。
最終日はあいにくのお天気になってしまいましたが、ご来場いただいた皆様、そして奈良Tブースを訪れてくださった皆様、本当にありがとうございました!

さてさて、今回はこの天平祭の舞台からほど近い、西大寺の紹介をしようと思います。

奈良の都において、東の大寺が東大寺であるのに対し、西の大寺が西大寺。

近鉄線でも「大和西大寺」という駅があるにもかかわらず、東大寺にくらべてややマイナーな印象があります。
観光客のみなさんも、東大寺は訪れたけど西大寺は行ってないっていう方も結構いらっしゃるんです。

西大寺本堂

西大寺本堂(Wikipediaより)

上の写真が西大寺の本堂の写真です。手前のちょっと土手になっているところが、西大寺の東塔跡です。

西大寺は、天平の時代、ときの女性天皇である孝謙天皇が淳仁天皇に天皇の位を譲位して孝謙上皇になった時にできたお寺です。

孝謙上皇が道鏡というお坊さんを重用したことで淳仁天皇と仲違いし、日本史でいうところの「恵美押勝の乱」とよばれる戦に発展します。
この戦の際、孝謙上皇が勝利祈願のために四天王像を造ることを約束し、実際に勝利。そして祈った通りに四天王像を造立し伽藍を開いたのが西大寺の起こりであると言われています。

建立当初は弥勒金堂、薬師金堂など多くの建物があったものの、平城京が都でなくなった後は火災や台風被害などの影響もありほとんどの建物がなくなってしまったといいます。

その後、鎌倉時代に入って叡尊というお坊さんがこの西大寺の復興を行いました。そして現在は本堂、愛染堂、四王堂をみることができます。四天王像が祀られているのは四王堂で、ここではいまでも四天王像を見ることができます(ただし、開闢当時の像は四天王が踏みつけている「邪鬼」のみで、その他の像は後に作りなおされたものとのことです)

その他にも国宝級、重要文化財級の像や資料が数多く残る西大寺。

アクセスは大和西大寺駅からすぐ。平城宮跡に向かう方向と逆にすすむとすぐに西大寺にたどり着くことができます。

平城宮跡まで訪れた際はぜひ西大寺まで足を運んでみてくださいね!